人の目が気になって疲れる理由|自分の気持ちが見えなくなっていた

不眠の悩み

人の目が気になるのは、

人が嫌いだからでも、

気が弱いからでもありません。

自分の価値や安心を、

いつの間にか外側の評価に預けるようになっていたからなのかもしれません。

人の目が気になる人に起きていること

私は以前、

人の目を気にしすぎる性格なのだと思っていました。

でも振り返ると、

人の目が気になることそのものより、

判断の基準がいつも外側に向いていたことが大きかったように思います。

相手はどう思うだろう。

期待に応えられているだろうか。

迷惑をかけていないだろうか。

何かを決めるときも、

まず先に外側を確認する。

当時の私は、

それが当たり前でした。

だから、

自分が外側を基準にしていることにも気づいていませんでした。

むしろ、

みんなそうやって生きていると思っていました。

でも今振り返ると、

その頃の私は、

「私はどうしたいのか」

よりも、

「周りはどう思うのか」

を優先して考えることが多かったように思います。


人の目が気になると疲れてしまう理由

人の目が気になる時、

私たちは「評価」という外側の基準を頼りにしています。

相手はどう思うだろう。

期待に応えられているだろうか。

嫌な気持ちにさせていないだろうか。

そんなことを考えていると、

少しずつ自分の気持ちは後ろへ下がっていきます。

そのとき心の中では、

外側の基準 > 自分の基準

他人の気持ち > 自分の気持ち

期待・評価 > 本音

という状態が起きています。

もちろん、

相手を思いやること自体が悪いわけではありません。

ただ、

外側ばかりを見続けていると、

自分が本当はどう感じているのか、

何を望んでいるのかが分からなくなっていきます。

本当は疲れている。

本当は断りたい。

本当はやりたくない。

そんな気持ちがあっても、

外側を優先することが当たり前になっていると、

その声はだんだん聞こえなくなります。

そして、

気づかないまま我慢を重ねていくことになります。


なぜ夜になると考え続けてしまうのか

当時の私は、

昼間は普通に過ごしているつもりでした。

でも夜になると、

ふと考え始めます。

あの言い方でよかっただろうか。

迷惑だったかもしれない。

嫌な思いをさせただろうか。

頭の中で何度も同じ場面を振り返る。

そんなふうに相手の反応を気にすることもありました。

でも、それだけではありませんでした。

本当は違うことを言いたかった。

本当は断りたかった。

本当はそう思っていなかった。

それなのに、

その場の空気や相手の反応を優先して、

違う言葉を選んでしまった。

そして後になって、

そのことがずっと頭に残ることもありました。

相手にどう思われたかを考えているようで、

実際には、

自分の気持ちを置き去りにしてしまったことに、

違和感を感じていたのかもしれません。

今振り返ると、

昼間に見過ごしていた気持ちや、

飲み込んでいた違和感が、

夜になると静かに浮かび上がってきていたようにも思います。

本当は疲れていた。

本当は無理をしていた。

本当は嫌だった。

そうした気持ちに気づかないまま、

外側を優先し続けていると、

心は少しずつ緊張した状態になります。

自分の気持ちと違う言葉を選び続けることも、

その緊張を強くしていたのかもしれません。

そしてその緊張が、

不安や考えすぎという形で現れることもありました。

私の場合、

それは眠れない夜にもつながっていました。


私の場合、人の目だけではなく、次のようなものも関係していました。

完璧主義(理想基準)

不安(未来への想像)

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