力を抜くことへの抵抗|私が「気楽に生きたい」と思い続けていた理由

不眠の悩み

気楽に生きたいと何度も検索していた

苦しかった頃、

私は「気楽に生きる方法」という言葉を何度も検索していました。

当時は、

なぜそんな言葉を検索しているのか、自分でもよく分かっていませんでした。

ただ、

もっと楽になりたい。

もっと力を抜きたい。

そんな気持ちがあったのだと思います。

今振り返ると、

私はどこかで、

気楽に生きている人は睡眠で悩まないと思っていました。

もちろん実際には、

誰にでも悩みや問題はあります。

今ならそれは分かります。

でも当時の私が思い描いていた「気楽な人」は、

悩みがない人ではありませんでした。

問題があっても、

その問題だけで頭の中が埋まらない人。

何かが起きても、

ずっと考え続けなくてもいられる人。

問題があっても、

その問題に自分の全部を持っていかれない人。

そんな人でした。


私はいつも力が入っていた

振り返ると、

私は何かあるたびに考えていました。

眠れないこと。

家族のこと。

仕事のこと。

先のこと。

問題が起きると、

どうしたらいいのか。

なぜこうなったのか。

何とかしなければ。

そんなことを考え続けていました。

それが当たり前だったので、

力が入っているという自覚もありませんでした。

むしろ、

頑張ることは良いことだと思っていました。

心配するのは真面目だから。

ちゃんと考えるのは責任感があるから。

そんなふうに思っていたような気がします。


気楽になりたいのに気楽になれなかった

今思うと不思議です。

私は気楽に生きたいと思っていました。

それなのに、

実際にはその反対のことをしていました。

休んでもいい場面で頑張る。

考えなくてもいいことまで考える。

自分で抱えなくてもいいことまで抱える。

本当は楽になりたいのに、

どこかで力を抜くことを許していなかったのかもしれません。

頑張る方が正しい。

ちゃんとしている方が正しい。

気を張っている方が安心。

そんな考え方が、

自分でも気づかないところにあったように思います。


私を縛っていたもの

人の目。

完璧主義。

不安。

自分が何とかしなければという思い。

これまで振り返ってきたものは、

どれも私を頑張る方向へ引っ張っていました。

少しでも失敗しないように。

少しでも問題が起きないように。

少しでも不安にならないように。

そうやって力を入れ続けていたのだと思います。


回復の中で起きていたこと

回復の中で起きていたのは、

何か新しいものを身につけることだけではありませんでした。

むしろ、

握りしめていたものを少しずつ緩めていくことだったように思います。

全部を背負わなくていい。

ずっと考え続けなくていい。

頑張り続けなくていい。

そうしたことを少しずつ知っていきました。


気楽に生きたいと思っていた私へ

苦しかった頃、

私は気楽に生きる方法を探していました。

今でも、

気楽な人になれたとは思っていません。

相変わらず考えすぎることもあります。

心配することもあります。

でも以前より、

問題に全部を持っていかれる時間は減りました。

頑張る以外の選択肢もあることを知りました。

そして、

力を抜いてもいい場面があることも知りました。

あの頃探していたものは、

性格を変える方法ではなく、

こういうことだったのかもしれません。

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